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素晴らしいです。美しい緑と自然、神社。あぁ、日本は心のふるさと。
嬉しいコメントありがとうございます😊神社はいいですね!
@@irisyell6626 さまありがとうございます。
@@根岸卓磨-f2g さまこちらこそありがとうございます😊
とても祝福に満ちたお話しでした戦いから逃れてきた人々、戦いに敗れた人々そんな人たちをも巻き込んで、日本の歴史は紡がれてきたあわよくば、当初は占領を目的をしていたかも知れませんだけど1万年以上平和を保ってきた縄文人たちの心大らかさに触れ、人々の心はいつしか癒され、溶け込んでいったその愛で育まれてきた日本の土地が、皆が大好きになるそれは今も変わっていないと思います
私もそう感じています。愛し、愛される。消えません。ありがとうございます😊嬉しいです🌸
素晴らしい👏👏👏👏👏全く同感です。全ての人には父母があり、そのまた父母があり、枝はどんどん広がってどこを辿るかで祖先は変わって来ます。わたしたちも皆、何処かでこの海を渡ってやって来た人たちと繋がっているはずです。争いの中で押し出された人たちが、日本列島では皆融合していったのは不思議なことですが事実です。この地から湧き出る風土にあったのでしょうか。この動画を見て、アッと思いました。安曇族は、【海神・綿津見神・少童】ですね。同じ神さまの別表記です。《少童》徐福が出雲へやって来た時、引き連れていた【童男童女】は、子供たちという意味ではなく、【安曇族】を意味していたのでは⁈前回動画にコメントしました【長江流域に住む倭人】が安曇族だとすれば、長身でがっしりとした西から来た人たちと比べ、小柄だったのかも知れません。徐福族は安曇族に支えられ出雲に渡来したとすると、【童男童女3000人】がしっくりします。その人たちが海部家の本体となりますから、出雲の伝承が「安曇氏は海部氏の親族である」と伝えているのも納得です。徐福の次の渡来、九州上陸も、安曇族が支えていたでしょう。九州に安曇族の拠点があるのも辻褄があいます。海部と物部はこの安曇族の機動力によって、連絡を取り合い協力し、【五十猛と穂屋姫】を結び、【初代大王・村雲】が生まれたということでしょう。後に、両家は争いますが、渡来当初は同族として、協調していたと思われます。神功皇后は母方がヒボコに繋がり、父方の息長家は滅びたばかりの磯城王朝です。ここで母方を意識するのが面白いですね。ヒボコの末裔は他にも沢山いたでしょうが、神功皇后が代表となったのは、ご本人の気質も当然大きいですが、磯城王朝の血を引く、物部王朝の皇后であったから、皆がついていったと思います。この半島遠征が日本の歴史にどれほど大きな影響を与えたか…出雲口伝を読むと、今までモヤモヤしていた沢山の点が次々と繋がり、歴史が綺麗に浮き上がって来ますね。縄文人でさえもひっきりなしに海の向こうからやって来た人たちの集合体であったと思います。古代に国境はなかったのです。縄文の母系社会は誰の子であっても村全体で育てたと言います。元気な男たちは海へ出ていっていたのかも知れません。海の向こうからやって来る【客人【まろうど)神】の観念は縄文時代からあったであろうと思います。❤
素晴らしいです!深く優しいよみ!感動です!皆さま、どうぞ読んでください。いつもありがとうございます😊感謝です🌸
磯城王朝の血を引く、物部王朝の皇后垂仁天皇イクメ大王の出雲の血を引くヒバス姫👸や、宗像の市杵嶋姫や初代皇后蹈鞴五十鈴姫から始まっていますが、きっともっと前にも、安曇族の前から安曇族と同化した海洋族がいたのでしょうね。宇佐や三島とも繋がるのでしょう。
@@nihontaro9さま安曇族を【長江流域にいた倭人】とすると、縄文時代からかなり広範囲で海を行き来していた海洋民族だと思われます。隼人や熊襲と同族というか、元をたどれば同じ人たちであると思います。徐福に従い、徐福族とともにその時代にやって来た人たちを安曇族と仮定すると、海部氏と重なる部分が多いですね。安曇族の頭領の一人が、五十猛となり、五十猛族が安曇氏を従え、海部氏となっていったような気がします。神功皇后の半島遠征に登場する【安曇磯良】は当然、海軍の総称であり、【安曇族を従えた磯城王朝族】という意味ではなかったか…その時、海人族を率いて活躍した【難波根子建振熊命】が海部19代当主となります。【海部】の姓を賜ったのはこの時ですね。又、タケミナカタの妃が安曇の娘【八坂刀売命】と言われていますが、父を殺されても尚、その敵方から妃を娶るというのは古代にはよくある話で、それだけ徐福族の勢力が大きく無視できない存在となっていたと考えられます。小袋石周辺が、ニギハヤヒで染まっているのも、安曇族の影響であると思いますし、争いがあっても全て融合してゆく典型的な例だと感じます。
@@mayumi3300🌻様、九州から日本列島に幅広く住み着いたと思われる【長江流域にいた倭人】と呼ばれた安曇族と、隼人族や熊襲族との繋がりを想像すると、列島に渡来した経緯などの過去の時間と、そこから神功皇后の【二韓征伐】や、【白村江の戦い】にも続く未来の時間へも繋がります。そこでの過去の時間は、範囲が大きすぎて、現在の日本古代史で言われている「渡来」という概念では納まらない状態だったでしょう。隼人の【逆渦】や、装飾古墳の幾何学模様の、珍敷塚古墳の【太陽の船】や【鳥】に描かれた古代エジプトとの繋がりが妄想されますね。北から南から、古代の海を渡り日本列島に住み着いた先祖たちの大きな笑い声が聞こえてくるような気がします。
@@nihontaro9さまですね。たらいの水のようにクルクルと循環していると思います。🍥
いつも有難うございます😊闘わない人々が東へ逃れ混じわって、今に歴史が繋がっていますね…ご先祖様に感謝🌿🙏
じーん、じーん、泣かせないで😭次回もいにしえに魂を誘ってください。ありがとうございます。
ありがとうございます😊嬉しいです🌸
映像にでてくる鱗雲、まるで龍のようでした✨
皆様に、いいことありますように🌸☆彡🌈
IRIS様、こんにちわ😊いつもありがとうございます🙇今、大国主、スサノオの本を読んでいます。こちらの動画で出雲族が好きになってしまい、図書館でも本屋さんでも選んで探してしまいますが、それも幸せな事です。地元の神社を紹介してくださってありがとうございます。すぐ前に砂浜がありますので天気のいい日は岩の上で雲を眺めて日光浴するのも、散歩するのも気持ち良いです😊さすがに縄文時代まで自分の先祖を遡れませんが平安時代までなら可能でしょうか?母方の姓に徳の字が入るのですがあまりそういう資料を上手く探す事が出来なくて。自分の課題となっています。父方も探そうとしていますがどこまで遡り探すことができるのか名もなきただの日本人ですがなんとなく必要な気がしています。ヒボコも遠い先祖かもしれませんし、どこかで繋がっているかと思うとこの日本に生まれることができたのがいっそう喜ばしい事だなあと思うんです。乱文失礼しました。😊
古代を思い返すと幸せ一杯になります。出雲族は懐の深さをがあり、私も心惹かれます。幸せですね😊先祖さんは戸籍謄本取得からでしょうか💦あまり詳しくないので、ごめんなさい🙇いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
出雲口伝では成務天皇の皇后なんですよね?私も来月神功皇后と住吉大社やります😊
そうですね😊その後変わりますね。一緒に二韓征伐できる人が良かったみたいですね。ワー楽しみですね😊私は宇治、応神、仁徳をしたいのですが、できるかな。ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@@irisyell6626さん応神王朝はごちゃごちゃし過ぎて流石に証拠集めるのが大変なので、私は継体王朝にうつります😊
@@castleman4502 さまはい。私、考え中💕😊
鎌足は藤子、百済王子、聖徳太子の養子になる、そして白村江へ、先代旧事本紀。
色々ありますね💦ありがとうございます😊
素晴らしいです。
美しい緑と自然、神社。
あぁ、日本は心のふるさと。
嬉しいコメントありがとうございます😊
神社はいいですね!
@@irisyell6626 さま
ありがとうございます。
@@根岸卓磨-f2g さま
こちらこそありがとうございます😊
とても祝福に満ちたお話しでした
戦いから逃れてきた人々、戦いに敗れた人々
そんな人たちをも巻き込んで、日本の歴史は紡がれてきた
あわよくば、当初は占領を目的をしていたかも知れません
だけど1万年以上平和を保ってきた縄文人たちの心
大らかさに触れ、人々の心はいつしか癒され、溶け込んでいった
その愛で育まれてきた日本の土地が、皆が大好きになる
それは今も変わっていないと思います
私もそう感じています。
愛し、愛される。
消えません。
ありがとうございます😊嬉しいです🌸
素晴らしい👏👏👏👏👏
全く同感です。
全ての人には父母があり、
そのまた父母があり、
枝はどんどん広がって
どこを辿るかで
祖先は変わって来ます。
わたしたちも皆、
何処かでこの
海を渡ってやって来た人たちと
繋がっているはずです。
争いの中で押し出された人たちが、
日本列島では皆
融合していったのは
不思議なことですが事実です。
この地から湧き出る
風土にあったのでしょうか。
この動画を見て、
アッと思いました。
安曇族は、
【海神・綿津見神・少童】ですね。
同じ神さまの別表記です。
《少童》
徐福が出雲へやって来た時、
引き連れていた【童男童女】は、
子供たちという意味ではなく、
【安曇族】を意味していたのでは⁈
前回動画にコメントしました
【長江流域に住む倭人】が
安曇族だとすれば、
長身でがっしりとした
西から来た人たちと比べ、
小柄だったのかも知れません。
徐福族は
安曇族に支えられ
出雲に渡来したとすると、
【童男童女3000人】がしっくりします。
その人たちが
海部家の本体となりますから、
出雲の伝承が
「安曇氏は海部氏の親族である」
と伝えているのも納得です。
徐福の次の渡来、
九州上陸も、
安曇族が支えていたでしょう。
九州に安曇族の拠点があるのも
辻褄があいます。
海部と物部は
この安曇族の機動力によって、
連絡を取り合い協力し、
【五十猛と穂屋姫】を結び、
【初代大王・村雲】が
生まれたということでしょう。
後に、両家は争いますが、
渡来当初は同族として、
協調していたと思われます。
神功皇后は
母方がヒボコに繋がり、
父方の息長家は
滅びたばかりの磯城王朝です。
ここで母方を意識するのが
面白いですね。
ヒボコの末裔は
他にも沢山いたでしょうが、
神功皇后が代表となったのは、
ご本人の気質も当然大きいですが、
磯城王朝の血を引く、
物部王朝の皇后であったから、
皆がついていったと思います。
この半島遠征が
日本の歴史にどれほど
大きな影響を与えたか…
出雲口伝を読むと、
今までモヤモヤしていた
沢山の点が次々と繋がり、
歴史が綺麗に浮き上がって来ますね。
縄文人でさえも
ひっきりなしに
海の向こうからやって来た人たちの
集合体であったと思います。
古代に国境はなかったのです。
縄文の母系社会は
誰の子であっても
村全体で育てたと言います。
元気な男たちは
海へ出ていっていたのかも
知れません。
海の向こうからやって来る
【客人【まろうど)神】の観念は
縄文時代から
あったであろうと思います。❤
素晴らしいです!
深く優しいよみ!
感動です!
皆さま、どうぞ読んでください。
いつもありがとうございます😊感謝です🌸
磯城王朝の血を引く、
物部王朝の皇后
垂仁天皇イクメ大王の出雲の血を引くヒバス姫👸や、宗像の市杵嶋姫や初代皇后蹈鞴五十鈴姫から始まっていますが、きっともっと前にも、安曇族の前から安曇族と同化した海洋族がいたのでしょうね。宇佐や三島とも繋がるのでしょう。
@@nihontaro9さま
安曇族を
【長江流域にいた倭人】とすると、
縄文時代から
かなり広範囲で海を行き来していた
海洋民族だと思われます。
隼人や熊襲と
同族というか、
元をたどれば
同じ人たちであると思います。
徐福に従い、
徐福族とともに
その時代にやって来た人たちを
安曇族と仮定すると、
海部氏と重なる部分が
多いですね。
安曇族の頭領の一人が、
五十猛となり、
五十猛族が安曇氏を従え、
海部氏となっていったような
気がします。
神功皇后の半島遠征に登場する
【安曇磯良】は
当然、海軍の総称であり、
【安曇族を従えた磯城王朝族】
という意味ではなかったか…
その時、海人族を率いて活躍した
【難波根子建振熊命】が
海部19代当主となります。
【海部】の姓を賜ったのは
この時ですね。
又、タケミナカタの妃が
安曇の娘【八坂刀売命】と
言われていますが、
父を殺されても尚、
その敵方から妃を娶るというのは
古代にはよくある話で、
それだけ徐福族の勢力が
大きく無視できない存在と
なっていたと考えられます。
小袋石周辺が、
ニギハヤヒで染まっているのも、
安曇族の影響であると思いますし、
争いがあっても
全て融合してゆく
典型的な例だと感じます。
@@mayumi3300🌻様、
九州から日本列島に幅広く住み着いたと思われる
【長江流域にいた倭人】と呼ばれた
安曇族と、隼人族や熊襲族との繋がりを想像すると、
列島に渡来した経緯などの過去の時間と、
そこから神功皇后の【二韓征伐】や、【白村江の戦い】にも続く
未来の時間へも繋がります。
そこでの過去の時間は、範囲が大きすぎて、
現在の日本古代史で言われている「渡来」という概念では
納まらない状態だったでしょう。
隼人の【逆渦】や、装飾古墳の幾何学模様の、
珍敷塚古墳の【太陽の船】や【鳥】に描かれた
古代エジプトとの繋がりが妄想されますね。
北から南から、古代の海を渡り日本列島に住み着いた先祖たちの
大きな笑い声が聞こえてくるような気がします。
@@nihontaro9さま
ですね。
たらいの水のように
クルクルと循環していると
思います。🍥
いつも有難うございます😊
闘わない人々が東へ逃れ混じわって、今に歴史が繋がっていますね…ご先祖様に感謝🌿🙏
じーん、じーん、泣かせないで😭次回もいにしえに魂を誘ってください。
ありがとうございます。
ありがとうございます😊嬉しいです🌸
映像にでてくる鱗雲、まるで龍のようでした✨
皆様に、いいことありますように🌸☆彡🌈
IRIS様、こんにちわ😊いつもありがとうございます🙇今、大国主、スサノオの本を読んでいます。こちらの動画で出雲族が好きになってしまい、図書館でも本屋さんでも選んで探してしまいますが、それも幸せな事です。地元の神社を紹介してくださってありがとうございます。すぐ前に砂浜がありますので天気のいい日は岩の上で雲を眺めて日光浴するのも、散歩するのも気持ち良いです😊さすがに縄文時代まで自分の先祖を遡れませんが平安時代までなら可能でしょうか?母方の姓に徳の字が入るのですがあまりそういう資料を上手く探す事が出来なくて。自分の課題となっています。父方も探そうとしていますがどこまで遡り探すことができるのか名もなきただの日本人ですがなんとなく必要な気がしています。ヒボコも遠い先祖かもしれませんし、どこかで繋がっているかと思うとこの日本に生まれることができたのがいっそう喜ばしい事だなあと思うんです。
乱文失礼しました。😊
古代を思い返すと幸せ一杯になります。
出雲族は懐の深さをがあり、私も心惹かれます。
幸せですね😊
先祖さんは戸籍謄本取得からでしょうか💦あまり詳しくないので、ごめんなさい🙇
いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
出雲口伝では成務天皇の皇后なんですよね?私も来月神功皇后と住吉大社やります😊
そうですね😊その後変わりますね。
一緒に二韓征伐できる人が良かったみたいですね。
ワー楽しみですね😊
私は宇治、応神、仁徳をしたいのですが、できるかな。
ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@@irisyell6626さん
応神王朝はごちゃごちゃし過ぎて流石に証拠集めるのが大変なので、私は継体王朝にうつります😊
@@castleman4502 さま
はい。
私、考え中💕😊
鎌足は藤子、百済王子、聖徳太子の養子になる、そして白村江へ、先代旧事本紀。
色々ありますね💦
ありがとうございます😊